今後の布教方法

昨日のバグ対応の合間に、SELinuxの布教活動について考える。
FC6には、secmarkやら、新機能が入っている。
こういった新機能をどんどん紹介していく活動もあるが、
普通の人はここまでついていけないだろう。

FedoraRedhatに入ってるし、SELinux知名度は上がっていると思う。
しかし、「悪名」という点での知名度も上がっている気がしてならない。
SELinuxは少し勉強しようとしたけど、わけわかんねー」
「なんか、面倒という噂」
SELinuxのせいで、Sambaが動かず、手間取った。時間返せ!」
といった感じだろうか。
で、
SELinuxは、怖いもの、むかつくもの→そんなものいらねーよ!」
という世論が出来ている気がする。
blogを検索してみても、そんな感じだし、
書籍コーナーのサーバー構築本を見ても、「SELinuxを切りましょう」ってのを良く見かける。
Linuxマスター!」みたいな分厚い本でも、SELinuxを切りましょうみたいに書いてあるのを見ると、こりゃやばいと思う。
#本がやばいというより、SELinux側にも非があるのではと思ってしまう

マイナスイメージの解消のためには、
食わず嫌い、挫折した人をどう救済するかが重要な気がするので、
「食わず嫌い、挫折した人を何とか復活させる」を、今期の布教活動のテーマにしてみようと思う。